(八戸藩政時代の面影を唯一伝える「八戸城角御殿表門」。その存在感は圧倒的です)
★八戸城角御殿表門(八戸市)
江戸時代、八戸市は八戸藩二万石の城下町として栄えていました。街を散策すると「鷹匠小路」や「鍛冶町」など城下町の名残である町名が目に入ります。市内には、古い建築物もいくつか残っており、中でも「八戸城角御殿表門」は、八戸藩政時代を象徴する建物です。
「八戸城角御殿表門」は、「棟門」(むなもん=本柱を2本立てて棟を高く上げ、屋根を切妻造りにした平入りの門)と呼ばれる構造の中では国内最大級。1978年(昭和53年)の修理ののち、現在では創建時に近い形に復元されています。御番頭(おばんがしら・藩の武官最高位)であった煙山(けむやま)冶部右衛門(じぶえもん)が、「八戸城に相応しい門を」と命ぜられ、寛政9年(1797年)に完成させたとされています。黒塗りの屋敷門で、藩政時代の遺構をほどんど失った八戸城の中で、圧倒的存在感を示しています。
1978(昭和53)年の倒壊と、翌年から行われた創建時に近い形に復元・修理の際、棟札(むなふだ)3枚と、小さな毘沙門天(びしゃもんてん)像(像は、八戸市博物館で展示)が発見されています。
※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、八戸市観光協会さま(HP)よりお借りしました。
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