(室蘭市の白鳥湾に浮かぶ大黒島。三等三角点が埋設されています)
★大黒島、三等三角点(点名:大黒島)標石
(標 高)35.60m(三角点)
(踏査記録) 未踏査
(踏査時間) 未踏査
室蘭市の白鳥湾に浮かぶ小島が、大黒島です。この島は現在は無人島なので、何か機会がないと踏査できません。この画像は、シクトツ岬(四等三角点)より観た大黒島です。地図によると、いまは使われなくなった灯台(画像中央に見える建物が灯台)の真下にあるようです。何かの機会に、ぜひ訪れて、三角点標石を確認してみたいものです。
以下の文章は、室蘭市の公式HPよりの引用です(一部改変しています)。
「今から約200年前の1796年、英国軍艦“プロビデンス号”がキャプテン・W・R・ブロートン中佐に率いられ室蘭港へ初入港しました。当時のヨーロッパ諸国にとっては、日本を含む北太平洋アジア大陸東沿岸部は、まだ実測されていない未知の世界でした。“プロビデンス号”は当初、パンの木の運搬船として1791年誕生しました。その後あと1794年、スループ型軍艦に改修され探検船として活躍、1796年9月28日、初めて室蘭港を訪れました。その折、松前藩藩医、加藤肩吾らと面会し、地図の交換を行ないました。なおこのとき、デンマーク人水兵ハンス・オルソンが事故で亡くなり、室蘭市沖合の大黒島に埋葬されたそうです。記録によると、あたりには黒百合が一面に咲いていたそうです。
10月1日、“プロビデンス号”は室蘭を出港し千島列島へ向かい、シンシル島へ到達しますが、厳冬のため探検継続を断念し、越冬のためマカオに向かいます。マカオで次の探検に備え伴走スクーナー船を購入、2隻での探検を開始しますが、1797年5月17日、“プロビデンス号”は沖縄、宮古島沖で座礁沈没してしまいます。
乗組員全員はスクーナー船でマカオに戻り、体制を整え6月26日スクーナー船で出港、8月12日に室蘭港に再来、再び加藤とブロートンは地図を交換しました。
8月22日、室蘭港を出港し津軽海峡を横断(ヨーロッパ人として初めて津軽海峡の実在を証明すると共に、蝦夷地が日本の一部として独立した島であることを実証しました)、日本海を北上しますが、間宮海峡まで到達できずに北上を断念。中国大陸沿岸を南下し、マカオ、マラッカ海峡を経てスリランカ、喜望峰を越えて1799年2月イギリスへ帰還しました。
10月1日、“プロビデンス号”は室蘭を出港し千島列島へ向かい、シンシル島へ到達しますが、厳冬のため探検継続を断念し、越冬のためマカオに向かいます。マカオで次の探検に備え伴走スクーナー船を購入、2隻での探検を開始しますが、1797年5月17日、“プロビデンス号”は沖縄、宮古島沖で座礁沈没してしまいます。
乗組員全員はスクーナー船でマカオに戻り、体制を整え6月26日スクーナー船で出港、8月12日に室蘭港に再来、再び加藤とブロートンは地図を交換しました。
8月22日、室蘭港を出港し津軽海峡を横断(ヨーロッパ人として初めて津軽海峡の実在を証明すると共に、蝦夷地が日本の一部として独立した島であることを実証しました)、日本海を北上しますが、間宮海峡まで到達できずに北上を断念。中国大陸沿岸を南下し、マカオ、マラッカ海峡を経てスリランカ、喜望峰を越えて1799年2月イギリスへ帰還しました。
大黒島は、絵鞆岬(えともみさき)の突端、室蘭港の入り口に浮かぶ周囲約700メートル、面積約2.4ヘクタールの小さな島。室蘭八景の一つで黒百合の咲く島として、市民に親しまれています(現状は、黒百合は鳥害により見られなくなってしまったようです。現在は、植栽活動が行われています)。
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