(棟方志功 『門世の柵(もんせいのさく)』、板画、1968年、棟方志功記念館)
★ヤマザキマリ 「棟方志功展 講演会 命の躍動感を表現する人 棟方志功」
北海道立近代美術館、2018年2月24日(土)14:00、2月25日(日)11:00
(WEBサイト→)http://www.stv.jp/event/munakata/index.html(公式HP)
棟方志功は明治36年(1903年)に青森市の鍛冶職人の三男として生まれました。同43年には青森市立長崎尋常小学校に入学、この頃から絵を描くことに熱中するようになり小学校を卒業してすぐに家業の鍛冶屋を手伝いましたが、ほどなく鍛冶屋は廃業。棟方は青森地方裁判所弁護士控所の給仕となります。この仕事は比較的時間に余裕があったため、近くの風景などをスケッチしていましたが、当時の棟方志功にとって絵の世界とは凧絵であり、ネブタであり、映画の看板でした。ところが、18歳の時、雑誌の口絵に掲載されていたゴッホの「向日葵」(ひまわり)と出会ったことで、その圧倒的な存在感に心を鷲掴みにされ、「わだば、ゴッホになる。」と油絵を描くようになりました。
大正13年、21歳のとき棟方は油絵画家となって帝展に入選することを目標に上京しますがなかなか念願は果たせず、ようやく初入選したのは昭和3年のことでした。
しかし、油絵画家を目ざしていたにもかかわらず、この頃から“油絵は結局は西洋のものではないか”と思い始め「日本人としての自分は何をするべきか」を考えた結果、日本には古くから浮世絵の伝統があり、その浮世絵はゴッホも賛美していた、ということもあって、木版画に着目し、板画を始めるようになりました。
独自の板画を目指し、墨一色の表現や、彩色によるものなど、模索していた棟方ですが「わだば、ゴッホになる。」と叫んだ青年はやがて「世界のムナカタ」となり、日本が誇る板画家となったのでした。
本展覧会では、北海道を題材にした作品や北海道初展示となる作品も含み、棟方志功がゴッホを目指していた青年期から、数々の代表作を生み出した壮年期、そして、故郷回帰とも言うべき晩年までの板画、倭画、油絵、書などを展示いたします。
世界のムナカタの自在な発想と幅広い画業を是非お楽しみください。
※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、北海道立近代美術館さま(HP)、および「棟方志功展」公式HPさまよりお借りしました。
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