(大坂城青屋門。現在の建物は昭和44年(1969年)に再築されたもの)
★大坂城 青屋門(大阪市)
青屋口は、大坂城二の丸の北に位置する出入り口で、青屋門はその枡形(ますがた)の内側に建っています。創建は、徳川幕府による大坂城再築工事が開始された元和6年(1620年)ごろと考えられています。青屋門は、明治維新の大火によって被災し、その後陸軍によって改築されたものの、昭和20年(1945年)の大阪空襲で再び大破しました。昭和44年(1969年)大阪市が残材を用いて再建したのが、現存する青屋門です。現状は、上部に櫓(やぐら)を乗せる独立した櫓門ですが、江戸時代には上部の櫓部分がさらに北西の石垣沿いに長く延びていたようです。
枡形(ますがた)とは、敵の侵入を防ぐための四角い区画のことで、青屋口の枡形(ますがた)は、二の丸の他の各口とは異なり、外側に突き出す出枡形(でますがた)でした。さらにその外側は、かつては水堀となっていて、橋が架かっていたようです。この橋は、押し出し引き入れ自在のいわるゆ算盤橋(そろばんばし)で、非常時以外は引き入れたままになっていたそうです。「青屋」の名前については、戦国時代この地に合った大坂(石山)本願寺の寺内町「青屋町」に由来すると考えられています。
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