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[建築物]★高麗橋 野村ビル(大阪市)

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★高麗橋野村ビルディング(大阪市)
(WEBサイト→)http://www.nomurashokusan.co.jp/retro/

 今回紹介する建築は、地下鉄堺筋線北浜駅から徒歩1分のところにある「高麗橋野村ビルディング」です。堺筋を歩いていくと、すぐにそれとわかるくらい、堂々とした風格を備えています。旧野村財閥の持ち株会社であった「野村合名会社」の地所部門が、最初に建てた貸しビルとしても有名です。現在のビル所有者である「野村建設工業」は、野村家の資産管理会社です。
 旧野村財閥の創始者・野村徳七は、事業の発展のためには、「事業所や店舗はその立地条件はもとより、規模や構造においても最高のものでなければならない」との信念を持っていたそうです。近代大阪の名建築のひとつとして称えられる「高麗橋野村ビルディング」は、そうした信念から生まれたものだったのです。

イメージ 5
(高麗橋野村ビルディング。1927年(昭和2年)の建築)
 
 この建物は、大阪ガスビルディングなどの設計でも知られる、関西地方を代表する建築家でもあった安井武雄(のちに当社の初代社長に就任)によって設計されました。竣工は1927年(昭和2年)、施工会社は大林組。構造形式は当時まだ珍しかった鉄骨鉄筋コンクリート構造です。戦前は、地上6階まであったそうですが、1964年(昭和39年)に7階層、および塔屋を増築して現在に至っています。
 建物は、堺筋に面する側は間口が広く、堂々たる風格を有しているのに比べて、奥行きは極端に狭いのが特徴。東洋的な装飾が施されており、モルタル塗りの腰壁は薄い褐色で統一されています。

イメージ 4
(建物を正面から。中央に玄関部分。左側にサンマルクカフェ。右側に和菓子店と階段部分)

 各階間の腰壁上端を外側に迫り出させる外壁形状は、ドイツのアインシュタイン塔(1921年)の設計でも有名なドイツ表現主義の巨匠、エーリヒ・メンデルゾーンが、ベルリン新聞社社屋(1923年)やショッケンデパート・シュトゥットガルト店(1927年)でとった手法だそうです。ベルリンの最新様式がわずか数年で大阪に伝わり、建築として現存していいることも驚きです。

イメージ 3
(正面玄関部分。左右に三日月型の玄関灯があり、オリエンタルな雰囲気)

 正面玄関の両脇に施されているオリエンタル調の装飾は、この建築をさらに印象深いものにしています。イスラームとも、日本ともつかぬ、三日月型の玄関灯や、各階を取り巻くように日本瓦を用いた東洋的な装飾で、ざらついた褐色の外壁は、聚楽第の外壁まで連想させるかのようです。ドイツ表現主義と東洋趣味が混在した「大大阪」時代を象徴するかのような近代建築は、ガラスを多用したいま流行りの高層ビルとは対極の深い雰囲気を感じさせてくれます。

イメージ 1
(正面右側にある当時の階段部分。急勾配ですが、雰囲気たっぷり)

 ビルの正面玄関に入ると、レトロな雰囲気が色濃く残るエレベーターがあるのですが、守衛さんからの許可が下りず、撮影は断念。1階は、左側に「サンマルクカフェ」が入店しています。中央が正面玄関、右側は上層階に続く階段が残っており、こちらは撮影させていただきました。2階以上の貸事務所部分は、さすがに廊下が狭く、天井も低いそうですが、当時の雰囲気は存分に伝えてくれているそうです。

イメージ 2
(階段部分の建物内部から、堺筋を望む。昭和初期の雰囲気を味わえるかも)

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、ブログ運営者がみずから撮影したものです。

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