(「分岐点」のバス停。王子軽便鉄道の営業当時を伝える唯一の名残です)
★旧分岐点駅(旧王子軽便鉄道)
王子軽便鉄道(おうじけいびんてつどう)は、苫小牧市の王子製紙苫小牧工場から千歳市烏柵舞(うさくまい)の千歳川上流に設けられた自社工場向け水力発電所や支笏湖畔とを結び、発電所の建設資材や支笏湖周辺の森林資源を運搬する目的で敷設された軽便規格の専用鉄道。 貨物輸送のための鉄道であったが、後に一般客扱いも行っていました。
1904年(明治37年)、経営不振に陥っていた王子製紙は業績浮上を新工場に求め、これを設立する最適地を苫小牧村に定めました。工場のための発電所の建設地へ建設資材を運搬するにあたり、当初は馬車軌道を敷設したが、発電機などの大型機械類運搬に対応できないため、すぐに蒸気機関車運転に変更。その後支笏湖周辺や樽前山麓の御料林からの木材運搬にも使用されて、1935年(昭和10年)には年間20万石以上の輸送量を記録している。また発電所の建設にあわせ、千歳川下流へと終点駅は移動しました。旅客扱いは関係者やその家族等に限り当初より行われていましたが、1922年(大正11年)からは支笏湖観光の気運を受けて一般乗客を受け入れ、修学旅行などにも使用されました。1936年(昭和11年)頃からは支笏湖対岸の美笛(びふえ)から、湖上運搬船を経由した千歳鉱山(美笛鉱山・千徳鉱山)の金鉱石運搬も行っていましたが、戦後、道路が整備されるにつれ、トラックや苫小牧市営バスなどの自動車に押されて廃止されました。なお廃止に当たっては当鉄道に従事していた人員を自社バスの運行要員に転換しています。苫小牧市民は海側に敷設された苫小牧軽便鉄道(後の日高線、現在の日高本線)を通称「浜線」、山側に敷設されたこの専用線を通称「山線」と呼んで親しんでいました。
「分岐点駅」は、苫小牧市から支笏湖にまでいたる「山線」が、湖畔線と発電所線とに分岐する地点に置かれた駅。現在は駅跡に遺構が何もなく、周辺に人家も見当たらないのですが、ここに「分岐点」というバス停があり、これが僅かに当時の名残と言えるものです。
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