(綿業会館。大阪を代表するレトロビルのひとつ。重要文化財)
★綿業会館(大阪市)
(WEBサイト→)http://mengyo-club.jp/
昭和初期のこと。大阪は「東洋のマンチェスター」とまで呼ばれていたそうです。日本が紡績業でイギリスを超え、綿製品の輸出世界一となりました。その賞賛の記念碑的な象徴として、故・岡常夫(当時、東洋紡専務取締役)の遺言として、寄付として100万円が贈られ、業界からの50万円の寄付と合わせて(当時の150万円は、現在の75億円に相当するそうです)、会員制倶楽部の開館が着工されました。大阪建築界の重鎮で旧ダイビルなども手掛けた渡辺節が設計。施工は清水組。1931年(昭和6年)に竣工されました。同時期に行われた大阪城の再建費用が48万円だったことを考えると、この綿業会館がいかに贅を尽くした建築物だったことが伺えます。
(レトロな雰囲気は、その通りを歩いていてもすぐにわかります)
綿業会館は、近代の日本を代表する建築物として戦前、戦後を通して、国際会議の場として数多く利用されました。1932年には第2代リットン伯爵を団長とするリットン調査団(国際連盟日華紛争調査委員会)、ルーズベルト大統領夫人、ヘレン・ケラー、犬養毅や吉田茂など歴代首相、歴史上の人物が来館。世界各国の様式を取り入れた会館は、優雅かつ荘重な各室の意匠と共に、この地で現在もなお美しい風格を放っています。激動の昭和、戦禍、大震災、すべてをくぐり抜けて、多くの深い遺志を貫き続ける逞しい存在です。会員制のため、館内の見学は予約が必要だそうです(月1階、第4土曜日、有料)。
基本構造は、鉄筋コンクリート造りの6階建て。地下1階。塔屋付き。外観はアメリカのオフィスビルのようでさりげない感じですが、倶楽部建築らしく内部装飾は充実しています。1階部分は石張りで、2階以上は薄茶色のタイル張り。
談話室は、全室の中でも最も豪華な部屋。17世紀のジャコビアン様式(イギリスの初期ルネサンス様式)で、映画やドラマの撮影に現在でも多く使用されています。部屋の壁面を覆う「タイル・タペストリー」は、京都の泉涌寺近郊の窯場で焼かれたおよそ1000枚のタイルを敷き詰めたもの。部屋全体が重厚で直線的。木製の壁面枠、床面、柱部分が黒光りを放っています。
また、通称「鏡の間」とも呼ばれる特別室は、ナポレオン帝政下のフランスで流行したアンピール様式。直線的で均整を重んじた様式なのだそうです。床材にはアンモナイトが浮き出た大理石が使われているほか、ドアの周りにも大理石が使われています(一見すると木製かと思うのですが、よく見ると、木目調の大理石なのです)。
貴賓室と呼ばれる特別室は、クイーン・アン様式。窓や壁が直線的なのに対し、天井や壁面、調度品に曲線が多用されています。また、大会議室はアダム様式と呼ばれ、18世紀後半のイギリスで流行したものだそうです。このように綿業会館は、非財閥の建築物でありながら、内外装の細部に至るまでデザインや、全館冷暖房が可能な最新鋭の設備が導入されるなど、「最高」を求めた造作になっています。
(正面玄関。今回は外観のみの見学でしたが、その真骨頂は内部にこそあります)
玄関ホールはイタリアン・ルネサンス様式。玄関を入るとすぐに大きなシャンデリアがゲストを迎えます。大理石を敷き詰めた床面。眼前には左右対称の石段。整った石造りアーチから廊下へと導かれ、さらに奥へ進むと1階ロビーは吹き抜けが広がり、施設の豪華さを感じることができます。1階ロビー横には華美な装飾が印象的なレストランがあり、豪華なレストラン会場の隣りには繊細な装飾を施した扉を持つエレベーターで3階へ進むと、前述の談話室、貴賓室があります。
(こちらの綿業会館は、重要文化財の指定を受けています)
部屋ごとに様式が違うのは、昭和初期、繊維産業を中心とする経済人たちの交流の場であったため、様ざまな指揮を取り入れることで、各国からの賓客をもてなすことに対応することを想定したためだと言います。この様ざまな様式の混在こそが、綿業会館の魅力のひとつでもあります。重要文化財。
(今度訪れる際には、ぜひ内部を見学してみたいです)
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