(長谷川貿易ビル。1906年(明治39年)ごろの建築とされ、室蘭市内では最も古いとされる)
★長谷川貿易ビル(室蘭市)
こちらの建物は、長谷川貿易ビル。その前は、旧楢崎倉庫として使用されていました。ハーフティンバー工法で、木骨煉瓦造り2階建て。1906年(明治39年)ごろの建築とされています。ファサード中央の窓下に取り付けられたひし形のなかに、HとSを重ねた屋号のようなデザインが見られます(画像を参照のこと)。改装された1階部分は5軒の集合店舗として使われたように見えます。現在は長谷川貿易株式會社(日用品貿易)の名前が残っています。この建物に関して、武田明純助教(室蘭工業大学)の研究グループによる「歴史的建造物」調査の中間報告が「室蘭民報」に載ったことがあるので、以下にそれを転載します。(2013年12月、現状を確認)
(中央ファサードの窓下に残る、屋号のようなマーク。ひし形のなかにHとSを重ねたようなデザイン)
※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、ブログ運営者がみずから撮影したものです。
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「武田助教と学生9人は室蘭市内を中心に歴史的建造物の調査を行っているが、今年5月中旬~6月上旬に週末を利用して「長谷川貿易ビル」を調べた。建物は木造骨組みで外壁にレンガを用いたハーフティンバー工法の煉瓦(レンガ)造り2階建て。極めて珍しい工法で、室蘭市内では唯一とみられている。同貿易は当時、市内では数少ない外国貿易を営み、外国船に雑貨を納入していたもので平成6年に亡くなった長谷川巌さんが所有していた。同年までは1階部分をテナントとして貸し、飲食店などが営業していた。さらに、親族などからの聞き取りによると、同ビルは日露戦争(1904年-1905年、明治37-38年)後の1906年(明治39年)ごろ、戦没者の遺骨の安置場所として利用。第2次世界大戦後には引き揚げ者の救護にも使用されていたらしい。
これらの調査から1906年(明治39年)ごろには既に建設され、特に戦後の室蘭の人々を支えた歴史的建造物であることが判明。武田助教らの調査では100年以上経過して現存する歴史的建造物は市内で数件確認されているが、同ビルが現時点では最も古かった。ビルの1階部分は最近までテナントとして使われていたため手を加えているが、2階は当時のまま保存されている。武田助教によると所有者は「出来る限り保存していきたい」と話しているという。このため、今後も詳しい調査を行って建設年次の特定や保存方法などを協議することにしている。」『室蘭民報』より
これらの調査から1906年(明治39年)ごろには既に建設され、特に戦後の室蘭の人々を支えた歴史的建造物であることが判明。武田助教らの調査では100年以上経過して現存する歴史的建造物は市内で数件確認されているが、同ビルが現時点では最も古かった。ビルの1階部分は最近までテナントとして使われていたため手を加えているが、2階は当時のまま保存されている。武田助教によると所有者は「出来る限り保存していきたい」と話しているという。このため、今後も詳しい調査を行って建設年次の特定や保存方法などを協議することにしている。」『室蘭民報』より