(北海道の鉄道史、橋梁建築史に残る貴重な遺構。「旧空知川第一橋梁」で、1899年の建築)
★支笏湖山線鉄橋(支笏湖畔、旧王子軽便鉄道。旧空知川第一橋梁)
北海道を代表する湖のひとつである支笏湖の湖畔に、千歳川を渡る鉄橋(歩道橋)があります。この鉄橋は、北海道で現存する現役最古のもので、日本の橋梁史においても稀少かつ重要な資料として評価を受けています。英国製200ftピン構造ダブルワーレン橋で、明治政府より1882年(明治15年)に鉄道建築技師長として招聘されたイギリス人のポナール氏設計によるピン結合トラス橋です。
輸入された当初は、この橋は1899年(明治32年)から北海道官設鉄道上川線の砂川妹背牛間に架けられていましたが、設計荷重が小さく輸送量の大幅な増加に対応できなくなり、1923年(大正12年)年頃に架け替えられました。その後、橋は当時苫小牧から千歳川上流部に敷設されていた王子製紙の専用軽便鉄道(山線)の橋として支笏湖に移され、湖畔橋と呼ばれ親しまれていました1922年(大正11年)からは一般旅行者も軽便鉄道の便乗を許されましたが、資材運搬を目的に運行していたため、片道切符の裏には「人命の危険は保証せず」と書かれていました。
1951年(昭和26年)8月、急速に進んだ道路整備により軽便鉄道が廃止され、山線鉄橋も鉄道橋の役目を終えました。その後、1967年(昭和42年)に支笏湖のシンボルとして王子製紙から千歳市に寄贈され、道路橋・歩道橋として長年利用されてきました。
1951年(昭和26年)8月、急速に進んだ道路整備により軽便鉄道が廃止され、山線鉄橋も鉄道橋の役目を終えました。その後、1967年(昭和42年)に支笏湖のシンボルとして王子製紙から千歳市に寄贈され、道路橋・歩道橋として長年利用されてきました。
(貴重な遺構とされ、市文化財のほか、北海道遺産、産業遺産にも指定されています)
老朽化の著しかった橋は、千歳市が1995年(平成7年)から3年間にわたる解体修復工事を行い、再生されました。支笏湖の新たなシンボルとして生まれ変わった山線鉄橋は、平成19年11月30日に「洋紙の国内自給を目指し北海道へと展開した製紙業の歩みを物語る近代化産業遺産群」として経済産業省の近代産業遺産に認定されました。(2013年11月、現状を確認)
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