★「大坂幕府」構想について記した小堀遠州の書状 初公開展
大阪城天守閣、2019年1月26日(土)-3月19日(火)
江戸時代初期に徳川将軍家が大坂城に引っ越し、江戸幕府の本拠地とする「大坂幕府」ができたかもしれない可能性を示す書状が見つかり、このたび初公開されます。この書状の差出人は、茶人で造園家、徳川大坂城の作事奉行でもあった小堀遠州(1579年-1647年)で、縦17cm、横2.45m。寛永3年(1626年)12月17日付け。大坂夏の陣で焼けた大坂城を、2代将軍の徳川秀忠の命令で立て直した小堀遠州が、再築の基本設計を担当した義父・藤堂高虎に宛てたもの。2018年7月に、三重県の古文書収集家が名古屋市内の古物商から購入し、三重大学や大坂城天守閣の調査で本物と断定されたものです。
書状には、大坂城の庭園に置く庭石の献上を藤堂高虎に勧める中で「大坂は、ゆくゆく御居城にもなさるべきところ」との記述があります。文脈などから、徳川秀忠や、3代将軍徳川家光の居城と考えていたことが読み取れるといいます。
「大坂幕府」構想を示す史料は、この発見が初めてではありません。数年前に、薩摩藩の島津家久が幕府要人から大坂城を秀忠の居城とする予定を聞かされた、とする島津家所有の書状が見つかっています。
大阪城はこの後、1629年に再建され、その3年後に秀忠が死去し、江戸での幕政が想定以上に円滑に行われ始めたことから、「大坂幕府」は実現しなかったと見られています。小堀遠州は後に、徳川家光の茶道師範になっています。江戸時代が「大坂時代」になっていたかもしれない貴重な資料の公開です。
※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、大阪城天守閣さま(HP)よりお借りしました。
↓いつも足しげく訪問していただき、ありがとうございます。きょうも1クリック、よろしくお願いします。