(旧第四師団司令部庁舎。MIRAIZA大阪城。昭和6年(1928年)の建築)
★旧陸軍第四師団司令部庁舎(現在のMIRAIZA大坂)
昭和3年(1928年)大坂城天守閣復興計画は、当時大坂城全域を管轄していた帝国陸軍が、天守閣の再建と城域の一部を公園として市民に開放する見返りとして、陸軍司令部庁舎をこの地に合わせて建設することで了承、大坂城の再建計画がスタートしました。このとき、第四師団司令本部側からは、公園化を許可する範囲を指定すると共に、天守閣も含めた公園施設を戦時など非常時には無条件で明け渡しすることも提示していました。事実、太平洋戦争開戦後の昭和17年(1942年)には天守閣への一般市民の立ち入りは禁止され、天守閣はその後しばらくは帝国陸軍の通信施設として使われました。
第四師団司令部庁舎は、天守閣建設のための寄付金150万円のうち、半額以上の80万円を費やされました(天守閣は47万円、公園整備費用23万円)。地上3階、地下1階の鉄筋コンクリート造り。
施工は清水組(現在の清水建設)で、昭和3年(1928年)天守閣の再築工事に先立って竣工されています。戦後は昭和23年(1948年)3月にアメリカ軍による接収が解除され、同年4月より大阪市警察本部が置かれました(昭和24年より大阪市警視庁、昭和30年より大阪府警察本部)。昭和35年(1960年)からは大阪市立博物館としてオープンしています。大阪市立博物館が平成14年(2002年)に移転してからはイベント時のみの使用となっていましたが、2017年より「MIRAIZA大阪城」という複合施設となりました。
全体フォルムは、中世ヨーロッパの城館をイメージしたネオ・ルネサンス様式。非常に豪壮で、威圧的にも映ります。外壁には、当時流行していたスクラッチタイル貼り。正面エントランス上部中央の装飾には終戦まで「菊の御紋章」がはめ込まれていました。現在は外されていますが、その跡はいまでも認めることができます(少し白くて丸い部分)。四隅の隅塔も非常に特徴的です。内装も重厚で、意匠を凝らした装飾がふんだんに盛り込まれました。中央階段は特に当時の雰囲気を残している部分で、赤い絨毯が敷かれ、照明灯にはさりげなく豊臣氏をイメージさせる千成瓢箪(せんなりひょうたん)のデザインが施されています。また、見事なステンドグラスもはめられており、華やかで豪華な印象です。1階の特別展示室には、「徳川期の天守閣を飾った鬼瓦」や「豊臣期の武家屋敷を飾った金箔瓦」が公開されています。2階には、昭和7年(1932年)陸軍特別大演習が挙行された際、昭和天皇が大阪城に行幸した時の貴賓室がありましたが、リニューアルされてカフェに生まれ変わっています。屋上は夏期のみ一般にも解放されているのですが、戦時中に高射砲陣地として使用された経緯もあり、現存する機関銃の銃座は非公開となっています。
現在は「MIRAIZA大阪城」としてショップやカフェ、レストランなどが入居し、大阪の歴史や文化に触れることのできる複合施設として生まれ変わりました。リニューアルに際しては18億円が投じられ、大理石やステンドグラスが磨き上げられたそうです。現在では、大坂市民や観光客に親しまれています。
※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、大坂城観光ガイドさま(HP)よりお借りしました。
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