(日本の鉄道黎明期を支えてきた7100型6号機。通称SL「しづか」号)
★SL「しづか」号(7100型蒸気機関車6号機、小樽市総合博物館にて静態保存)
7100型蒸気機関車は、1880年(明治13年)の北海道初の鉄道(官営幌内鉄道)の開業にあたり、アメリカから輸入された蒸気機関車です。この機関車は番号の他に歴史上の人物(北海道絡みが多い傾向)にちなんだ愛称を付されていることでも知られ、1-6号機には番号順に、「義經(義経/よしつね)」、「辨慶(弁慶/べんけい)」、「比羅夫(ひらふ)」、「光圀(みつくに)」、「信廣信広/のぶひろ)」、「しづか(静/しづか)」と命名されています。(1889年製の2両は無名)。これは、当時のニューヨーク領事であった高木三郎の意見によったものといわれています。西部劇から抜け出てきたような、アメリカの古典的スタイルの機関車で、その愛称とともに、日本の古典蒸気機関車の代表格として親しまれています。
この7100型蒸気機関車は、テンダー(炭水車)は2軸のボギー台車を2つつけた4軸のもので、側面に愛称名が漢字で大書されていました。これは、開拓使長官黒田清隆の筆とも、大書記官山内提雲の筆ともいわれています。前述のように、典型的なアメリカ古典機スタイルで、前端梁に取り付けられたカウキャッチャー(牛よけ = 排障器)や大型のダイヤモンドスタック(火の粉止め)を取り付けた煙突、大型の油灯式前照灯、第1缶胴上に設けられたベル、木製の運転室などが、特徴的です。ボイラーには、第2缶胴上に砂箱、ワゴントップ型の火室上に蒸気ドームが設けられています。
1880年(明治13年)に輸入された2両には、ウェスティングハウス・エア・ブレーキ製空気ブレーキが装備されており、客車とともに貫通制動ができるようになっていました。標準装備されていた自動連結器とともに、本型の先進的な部分であると言われています。当時、北海道以外の国内の鉄道では、真空ブレーキとリンク式連結器が用いられていました。
(現在は、小樽市総合博物館にて静態保存され、子どもたちに大人気となっています)
1952年(昭和27年)は鉄道開通80周年の年であり、多くの記念事業が計画されました。北海道では、1952年に日本製鋼所室蘭製作所で不要となった7106(7100型6号機)が、かねての約束どおり国鉄に引き渡されました。同機は、製鋼所でサドルタンク式のタンク機関車に改造されていたが、苗穂工場では7100の部品を流用して10月に復元を完成させた。復元の成った「義經」号と合わせ、「しづか」号は東京に送られ、同年10月14日の鉄道記念日に原宿駅の宮廷ホームで揃って展示されています。一方で、「しづか」号に部品を提供した7100は、苗穂工場で解体されています。
その後、「義經」号は鷹取工場、「しづか」号は苗穂工場に保管されましたが、「しづか」号は1962年(昭和37年)に小樽市手宮の北海道鉄道記念館(現在の小樽市総合博物館)に移され、翌1963年(昭和38年)には2両揃って準鉄道記念物に指定されました。
「義經」と「しづか」の両機は、1952年に東京で展示された後、たびたび再会イベントが行なわれており、1968年(昭和43年)、1980年(昭和55年)、2002年(平成14年)の3度、いずれも北海道鉄道記念館で再会を果たしています。なお、2010年には小樽市総合博物館で保存されている「しづか」号も鉄道記念物に昇格しました。(2013年9月、現状を確認)
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