(大坂城唯一の隠し曲輪に残る、担当した藩の刻印)
★大坂城 隠し曲輪跡(大阪市)
大坂城の本丸に唯一築かれた帯曲輪(おびくるわ)で、江戸幕府による大坂城再築当時のもの。出入口が狭くて気づかれにくく、兵士を隠す場所だったことから、一般に「隠し曲輪」と呼ばれました。
一時期、江戸幕府の焔硝蔵(火薬庫)が置かれていたこともあり、立ち入りが厳しく制限されていたことから、ここに秘密の抜け穴があるとの伝説も残っていました。なおここでは、石垣の築造を担当した加藤家(伊予大洲藩)と小出家(丹波園部藩、但馬出石藩)の刻印を間近に観ることができます。
(画像上の丸十字は加藤家、画像下のニ八印は小出家の刻印)
(曲輪や櫓ごとに担当する藩が決まっていましたが、ここは特によくその状態が残っています)
(隠し曲輪から山里丸方面。確かに攻め手からは死角になっています)
※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、ブログ運営者がみずから撮影したものです。
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