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[建築物]★旧陸軍第四師団司令部庁舎(MIRAIZA大阪城)(大阪市)

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(旧第四師団司令部庁舎。MIRAIZA大阪城。昭和6年(1928年)の建築)
 
旧陸軍第四師団司令部庁舎(現在のMIRAIZA大坂)
 昭和3年(1928年)大坂城天守閣復興計画は、当時大坂城全域を管轄していた帝国陸軍が、天守閣の再建と城域の一部を公園として市民に開放する見返りとして、陸軍司令部庁舎をこの地に合わせて建設することで了承、大坂城の再建計画がスタートしました。このとき、第四師団司令本部側からは、公園化を許可する範囲を指定すると共に、天守閣も含めた公園施設を戦時など非常時には無条件で明け渡しすることも提示していました。事実、太平洋戦争開戦後の昭和17年(1942年)には天守閣への一般市民の立ち入りは禁止され、天守閣はその後しばらくは帝国陸軍の通信施設として使われました。
 第四師団司令部庁舎は、天守閣建設のための寄付金150万円のうち、半額以上の80万円を費やされました(天守閣は47万円、公園整備費用23万円)。地上3階、地下1階の鉄筋コンクリート造り。
 施工は清水組(現在の清水建設)で、昭和3年(1928年)天守閣の再築工事に先立って竣工されています。戦後は昭和23年(1948年)3月にアメリカ軍による接収が解除され、同年4月より大阪市警察本部が置かれました(昭和24年より大阪市警視庁、昭和30年より大阪府警察本部)。昭和35年(1960年)からは大阪市立博物館としてオープンしています。大阪市立博物館が平成14年(2002年)に移転してからはイベント時のみの使用となっていましたが、2017年より「MIRAIZA大阪城」という複合施設となりました。
 全体フォルムは、中世ヨーロッパの城館をイメージしたネオ・ルネサンス様式。非常に豪壮で、威圧的にも映ります。外壁には、当時流行していたスクラッチタイル貼り。正面エントランス上部中央の装飾には終戦まで「菊の御紋章」がはめ込まれていました。現在は外されていますが、その跡はいまでも認めることができます(少し白くて丸い部分)。四隅の隅塔も非常に特徴的です。内装も重厚で、意匠を凝らした装飾がふんだんに盛り込まれました。中央階段は特に当時の雰囲気を残している部分で、赤い絨毯が敷かれ、照明灯にはさりげなく豊臣氏をイメージさせる千成瓢箪(せんなりひょうたん)のデザインが施されています。また、見事なステンドグラスもはめられており、華やかで豪華な印象です。1階の特別展示室には、「徳川期の天守閣を飾った鬼瓦」や「豊臣期の武家屋敷を飾った金箔瓦」が公開されています。2階には、昭和7年(1932年)陸軍特別大演習が挙行された際、昭和天皇が大阪城に行幸した時の貴賓室がありましたが、リニューアルされてカフェに生まれ変わっています。屋上は夏期のみ一般にも解放されているのですが、戦時中に高射砲陣地として使用された経緯もあり、現存する機関銃の銃座は非公開となっています。
 現在は「MIRAIZA大阪城」としてショップやカフェ、レストランなどが入居し、大阪の歴史や文化に触れることのできる複合施設として生まれ変わりました。リニューアルに際しては18億円が投じられ、大理石やステンドグラスが磨き上げられたそうです。現在では、大坂市民や観光客に親しまれています。
 
なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、大坂城観光ガイドさま(HP)よりお借りしました
 
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[建築物]★大坂城 金蔵(大阪市)

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(大阪城御金蔵。背後に見えるのは旧第四師団庁舎(MIRAIZA大阪))

★大坂城 御金蔵(大阪市)
 大阪城天守閣の入口すぐ右側(東側)に「御金蔵」があります。徳川幕府時代に築造されたものです。幕末の動乱や太平洋戦争での大阪空襲での被害からも免れた現存する唯一の徳川幕府の金庫です。しかし、天守閣近くにあるからか、ほとんどその存在は知られておらず、通り過ぎていく観光客がほとんどだとか。江戸時代、大坂城は畿内西国支配の拠点であり、長崎貿易の莫大な収益金や、100万石を優に超えるという西日本にある幕府直轄領(天領)の年貢米を金銀に換算した公用金、大坂新地の地子銀、酒造仲間や舟仲間などからの運上金が、この「金蔵」に収められていたはず。江戸時代幕府の金貨・銀貨を保管した幕府直営の金庫だったわけです。江戸時代前期、元禄16年(1703年)の記録によると、入金高は金貨が36.8万両、銀貨が1.1万貫、大判金が48枚あったそうで、現在のレートに換算すると808億円が収められていたそうです。
 大阪城の金蔵は、寛永3年(1629年)ごろに建てられたものが最初です。宝暦元年(1751年)この場所の南側にあった長屋(多聞櫓)を切断・改造し、もともと北西側に合った金蔵を「元金蔵」、この金蔵を「新金蔵」と呼んで区別していたそうです。のちの天保8年(1837年)に平屋建てに大改築されました。「元金蔵」は明治25年(1892年)に配水池建設のために、この「新金蔵」の東側に移築。「元金蔵」は、のち昭和4年(1929年)になって旧陸軍により高槻工兵隊の敷地内に再移築されましたが、大阪空襲で焼失しています。
 「新金蔵」は、東西3間(5.46m)、南北8間(14.55m)、高さが5.8m、面積は93.11㎡。寄棟本瓦葺きひ平屋建て。外壁は、上部は軒裏まで白漆喰で塗り固められ、下部はなまこ壁となっていました。内部は大小2室あります。手前の大きな部屋に通常の出納用の金貨・銀貨、奥の小さな部屋に非常用の金貨・銀貨が置かれていました。防犯や防災、防湿には当時の最新の工夫が凝らされています。床下は石敷きで、地下からの侵入は不可能になっています。入口は三重構造。一番手前が重厚な開閉式扉、次に引き戸の扉があり、その奥に鉄格子戸が設置されていました。小窓は土戸と鉄格子で、床下の通気口にも鉄格子がはめられていました。また、鍵も慣れていないと簡単には開かない構造になっていたそうです。
 ちなみに、金蔵保管の金貨銀貨が紛失した事件は、少なくとも2件あったことが記録に残っています。そのうちの1件は、元文5年(1749年)大坂城を守衛する旗本の中間(ちゅうげん)梶助が金4000両を盗み出した事件でした。しかし事件はすぐに露見し、梶助は武士でありながら市中引き回しの上、磔(はりつけ)となり、また監督責任を問われて常番の丹羽薫氏(にわしげうじ)以下が処分を受けています。

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、大坂城観光ガイドさま(HP)よりお借りしました。

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[建築物]★大坂城 金明水井戸屋形(大阪市)

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(大阪城 金明水井戸屋形。見逃されることが多いそうです)

★大坂城 金明水井戸屋形(大阪市)
 大阪城天守閣に入場し、階段を上っていく途中、小天守台に、小さな井戸があります。これが「金明水井戸屋形」です。「屋形」とは、「小さな小屋」「屋根だけの家」というような意味です。かつては、豊臣秀吉が水の毒気を抜くために黄金を沈めたという伝説もありましたが、学術調査により、この井戸は徳川幕府が大坂城再築にともない、寛永元年(1624年)に創建された当時のものと、ほぼ断定されています。寛文5年(1665年)に天守閣は焼失してしまいますが、この「金明水井戸屋形」は焼け残りました。戊辰戦争を描いた絵図にも、こちらの井戸が描かれているそうです。
 この井戸から水面までは、およそ33m。井筒は一戸の石をくり抜いて造られています。深い井戸ではありますが、学芸員の北川さんによると、現在でもこの井戸には湧水が湧いており、とても綺麗な水なのだそうです。屋形(屋根)を観ると、徳川幕府の「葵の御紋」が彫られているのが、よくわかります。重要文化財。

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、大坂城観光ガイドさま(HP)よりお借りしました。

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[建築物]★大阪市中央公会堂(大阪市)

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(中之島のランドマーク、大阪市中央公会堂。大正7年(1918年)の建築)

★大阪市中央公会堂(大阪市)
 大阪市北区、大都会のど真ん中、北に堂島川、南に土佐堀川が流れる中之島の地に建つランドマーク的存在の建物です。川の流れと木々の緑色に映えるネオ・ルネサンス様式の外観は、大阪城や通天閣と並んで、大坂を代表する景観だと言っても過言ではないでしょう。
 大阪中央公会堂は、当時の大坂を代表する株式仲買人でもあった岩本栄之助によって大正2年(1913年)に着工され、大正7年(1918年)に竣工しました。以来1世紀以上にわたって、国際的なアーティストによるオペラやコンサートのほか、各界著名人の講演会も数多く開催されるなど、大阪の文化・芸術・社会活動の発展に大きく関わってきました。しかし、たび重なる改修などにより創建当時の意匠が損なわれ、老朽化が進んだことから、平成11年(1999年)保存改修工事が始められ、4年の歳月を経て、平成14年(2002年)完成しています。この際、工事は歴史的建築物としての保存、および創建時への復元改修に加え、古い建築物に高い耐震性を与え甦らせる「免振レトロフィット」と呼ばれる工事や、時代のニーズに応えて次世代まで活用できるよう、スロープやエレベーターを新設するなどの工事が行われました。建物は、時代の流れと共に、その役割を変えていきましたが、現在でもなお、公会堂の壮麗な雰囲気を生かした様々な利用がされており、大阪市民の活動拠点となっています。こうして美しく甦った大阪中央公会堂は、中之島の景観に欠かせない美しい外観と内部意匠が歴史的建築物として極めて重要であるとの高い評価を受け、平成14年(2002年)公会堂建築物としては西日本では初めて、国の重要文化財にしていされています。ぼくがこちらの建物を訪問したときには、ちょうど結婚披露宴が行われていました。新郎新婦さんが、大阪市中央公会堂を背景に結婚写真を撮っておられました。偶然とはいえ、華やいだ雰囲気が漂っていました。なお、こちらの建物は現役で稼働している建物であるため、各種集会室の公開はされていません。
 大阪市中央公会堂は、鉄骨煉瓦造りの地上3階、地下1階。ネオ・ルネサンス様式を基調としつつ、バロック様式の壮大さも合わせ持ち、細部にはウィーン分離派様式も取り入れられています。南側玄関には、建築当時の「大阪市中央公会堂」と書かれた看板が現在でも残っています。アーチ状の大屋根と、洋画家松岡壽によって天地開闢が描かれた特別室の天井画、壁画が特徴です。

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(大阪市中央公会堂が誇る、大集会場(大ホール)。レトロな雰囲気が素晴らしい)

 大集会場(ホール)は、1階から2階までの吹き抜けとなっており、最大1161人の収容が可能となっています。大正時代にはロシア歌劇団によるオペラ『アイーダ』が上映されたほか、社会福祉家のヘレン・ケラーや、ソ連の宇宙飛行士ガガーリンなどもここで講演を行っています。現在でも、各種講演会やコンサート会場として利用されています。
 3階には中集会場と小集会場、および特別室(非公開)があります。中会議室は、以前は大規模な宴会や食事を催す会場だったそうです。中会議場は、高い天井と繊細で愛らしいシャンデリアが特徴的。よく楽器を使ったコンサートが開催されるそうです。また小会議室は、木目調の温かみのある部屋です。
 また、特別室(非公開)には、創建当時に掛かっていたカーテンも展示されています。京都西陣の工芸織物業者が制作したもの。現在掛かっているカーテンも、やはり西陣にある会社が同じ図柄で制作したものです。現在では映画などのロケーション撮影をはじめ、会合や結婚式にも利用されています。高い天井やそこに描かれている天井画、大きなステンドグラスもこの部屋の自慢です。天井に描かれているのは、日本神話に登場する「天地開闢」物語の主人公、「イザナギ」と「イザナミ」それに天津神である「アマツカミ」の3人です。作者は19世紀から20世紀にかけて活躍した洋画家の松岡壽(ひさし)。南側と北側の壁画も非常に見事です。商業の神として北側に「スサノオノミコト」、南側に工業の神として「フトダマノミコト」が描かれています。2神を同時に描くことで、大阪市の商工業の繁栄を願っています。特別室の東側(東向き)には、扇形の窓いっぱいに施されたステンドグラスが圧巻の美しさです。何と5,000枚を超えるパーツで出来ているそうです。鳳凰のデザインが施され、現代のガラスとは違って、微妙に色彩や質感に独特の味わいがあります。ステンドグラスには凸レンズが224枚使われていますが、これらは窓から入る光が拡散されるよう掲載されたものだとか。また、特別室の扉には、別の細工をしたきをはめ込む「木工象嵌(もっこうぞうがん)」という技術も施されています。
 地下1階の「中之島ソーシャルイートアウェイク」は、レストランとしてリノベーションされ、クラシック・モダンな雰囲気の中で和食の素材を生かしたクール・フレンチ、イタリアン料理が楽しめます。同じく地下1階には、展示室があります。展示室に向かう廊下は、煉瓦壁や電灯が、半円アーチ状の構造と相まってレトロな雰囲気。また、この廊下には木製座席がベンチとして置かれていますが、これは改修以前に大集会場(大ホール)にあった木製座席を保存したものです。また、階段ホールに保存されている木製の柱は、保存再生工事の際に取り出された4000本の基礎の杭(松の木)だそうです。このように、創建当時の調度品や柱などは、館内のあちこちに保存されており、実際に観ることができます。
 
 建設費は、当時で100万円(現在の金額に換算すると、およそ50億円)。全額、当時の株式仲買人でもあった岩本栄之助の寄付によるものでした。設計は、明治時代の建築界をけん引した辰野金吾と岡田信一郎。2人とも明治時代を代表する建築設計者ですが、特に辰野金吾は、東京駅駅舎の設計者としても有名です。どことなく、雰囲気が東京駅に似通っているようにも見えませんか。
 ここで、大阪市のシンボルとも言えそうな大阪市中央公会堂の建設のために莫大な資材を投じながら、その感性を待つことなくこの世を去った岩本栄之助に触れてみましょう。岩本栄之助は明治10年(1877年)大阪市南区に、両替商「岩本商店」の次男として生まれました。小学校を出て進学した大阪市立商業学校卒業後、外国語学校などに通うかたわら、家業の手伝いを始めます。明治30年(1897年)日露戦争に出征し、除隊後明治39年(1906年)に家督を継ぎ、正式に大阪株式取引所の仲買人として登録されました。栄之助が仲買人となった直後の明治39年(1906年)北浜の大阪株式取引所を日露戦争終結に端を発する空前の大暴騰が襲います。株価は急騰し「買えば必ずもうかる」とさえ囁かれました。大正3年(1914年)株式仲買の第一線から栄之助は身を引きますが、翌年には再び株式仲買の世界に身を投じます。しかし、世相は折からの第一次世界大戦勃発による高騰相場となっており、栄之助は莫大な借金を抱えてしまうことになります。周囲の人々は、大阪市に寄付した100万円の一部を返してもらうように勧めたのですが、栄之助は「一度寄付したものを返せというのは、大阪商人の恥である」としてこれを拒否。大正5年(1916年)自宅でピストル自殺の道を選びます。栄之助が生死をさまよった5日間、彼に恩義を感じた北浜の仲買人たちは、大阪天満宮に夜通しかがり火をたき、無事を祈ったとされていますが、栄之助は同年、享年39歳でその生涯を終えました。栄之助が夢見た大阪中央公会堂は、その死後2年後の大正7年(1918年)に完成しています。

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[常設展]★ジョージ・ルーカス 『金の波が立つとうもろこし畑』

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(ジョージ・ルーカス 『金の波が立つとうもろこし畑(一部)』、
19世紀後半ごろ、ザ・リッツカールトン大阪)

★ジョージ・ルーカス 『金の波が立つとうもろこし畑』
 ザ・リッツカールトン大阪、1階チェックインロビー前にて常設展示

 こちらの作品は、「観るだけ美術部」部長が2019年2月ザ・リッツカールトンホテル大阪に宿泊した際、チェックインロビーに飾ってあったものを撮影させていただいたものです。こちらの作品の制作年代は不明ですが、ジョージ・ルーカス(映画監督のジョージ・ルーカスとは別人ですよ)は1863年から1899年ごろに活躍したイギリス屈指の風景画家でもありました。代表作には、『ハムステッドピースの景色』(1864年)や、『野生の花々』(1868年)などがあります。
 こちらの作品は、イギリスの田舎の風景を描いたものでしょう。どことなく、ミレーなどに代表されるバルビゾン派の作品に観えなくもないです。秋のわずかな天気のよい日に、仕事に精を出す農村の風景が切り取られていますね。

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、ブログ運営者がみずから撮影したものです。

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[陶芸展]★河井寛次郎・濱田庄司と、民藝巨匠展

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★河井寛次郎・濱田庄司と、民藝巨匠展
 札幌三越、2019年2月12日(火)-2月18日(月)

 柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司らによって提唱された民藝運動。本展では、日本の工芸を代表する濱田庄司とかわい河井寛次郎の作品を中心に、民藝の代表的作家による作品をご紹介いたします。

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[建築物]★大坂城 乾櫓(大阪市)

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(大阪城乾櫓。大手口から京橋口までを見渡せる戦略的に重要な櫓でした)

★大坂城 乾櫓(大阪市)
 「乾」とは「西北」を表す言葉です。この櫓は西の丸の西北に位置していることから「乾櫓」と呼ばれるようになったようです。大手口から京橋口までの広い範囲を見渡せる戦略的に重要な地点にあり、外堀を隔てた城郭外側の南・西・北のどの角度からも望めたことから、「三方正門の櫓」とも呼ばれていました。戦後の解体修理の際に、「元和六年申ノ九月吉日 ふかくさ 三十郎」と書かれた屋根瓦が見つかったことから、乾櫓の創建は元和六年(1620年)の徳川幕府時代ということが判明しました。つまり、乾櫓は千貫櫓と同じく、大坂城再築工事の際に築かれたものであり、現存する大坂城の遺構の中でも、最も古い構造物のひとつだということが明らかになったわけです。
 乾櫓の高さは10.3m、総面積は186.23㎡。L字の2階2層、総2階造りという珍しい構造です。通常、隅櫓(角にある櫓)の場合、四角く場所を切り取って建てるのですが、この乾櫓は石垣の折れを利用し、そのままL字型の建物にしているのが特徴。また通常、隅櫓は1階に比べて2階を狭くするのですが、この乾櫓は1階と2階が全く同じ面積になっています(これを総2階造りと言います)。窓は堀に面した北面と西面に26か所。鉄砲狭間は16か所(ただし漆喰が塗りこめられていて、外からは見えない)。石落としは4か所。この櫓の設計建築総責任者は、茶人の小堀遠州だったようです。重要文化財。

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、大坂城観光ガイドさま(HP)よりお借りしました。

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[企画展]★心和む故郷の風景 思い出のかたち展

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(羽山雅愉 『曙光』、釧路市立美術館)  

★心和む故郷の風景 思い出のかたち展
 釧路市立美術館、2019年1月5日(土)-2月17日(日)
(WEBサイト→)http://www.pekita.net/now.html
 
 風景を描いた作品には、それぞれの時代の街の様子や各地の風物などが特徴的に描きだされ、それぞれの画家の視点には、建物や場所への深い愛情が感じられます。本展では、釧路市近郊を描いた風景画を特集いたします。裁判所や幣舞橋など、街を彩る特徴的なランドマークをきっかけにして、自ぢ愛を経て移り変わる故郷の風景を見つめなおしてみませんか。

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、釧路市立美術館さま(HP)よりお借りしました。

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[講演会]★栗谷川 悠 「栗生川健一 北国の空と風雪と緑 没後20年遺作展」

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★栗谷川 悠 「栗生川健一 北国の空と風雪と緑 没後20年遺作展」
 札幌三越、2019年2月16日(土) 14:00 

 栗生川健一さんは、岩見沢市生まれ。札幌冬季オリンピックの招致ポスターを始め、北海道の観光ポスターなど、札幌を拠点に活躍したデザイナーでした。本展では、遺族のご厚意により、貴重な版画作品を展覧いたします。

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[三角点]★大阪城山(二等三角点、点名:大阪城)標石

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(大阪城山(二等三角点、点名:大阪城)標石)

★大阪城山(二等三角点、点名:大阪城)標石
(標 高)32.88m
(踏査記録)2019年2月10日(日)
  ザ・リッツカールトン大阪9:45  10:10 地下鉄御堂筋線本町駅 10:15  13:15 大阪城山三角点13:25 → 14:10 地下鉄谷町線天満橋駅 14:20 → 15:00ザ・リッツカールトン大阪 
(踏査時間)5:15

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(鉄板に覆われていました。鉄板は重かったですが、外して撮影することができました)
 
 2019年2月に、大阪市に出張することになりました。その際、僅かな時間をつくって大阪城の遺構もたくさん観てきましたが、大阪城址公園に二等三角点が埋設されていることも知り、この際と思って標石を探査してきました。標石は青屋門側、極楽橋から城域に入ります。天守閣からは離れているので、観光客も素通りしていきます。城郭の一角に小さい広場のようなところがあり、ベンチがあります。ここからの景色はとても良いです。鉄板には「二等三角点」と書かれています。鉄板は重かったのですが、外すことができました。鉄板の下に、古い三角点標石が埋設されていました。1929年(昭和4年)の埋設だそうです。手が汚れるので、軍手は必須です。標石の文字は、「二等」と読むのがやっとです。

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(大阪城に出かけたときは春節で、たくさんの観光客がいました)

 大阪城まで行って、天守閣ではなく、三角点標石を探している人間も珍しいですよね。周りの観光客も、怪訝そうな表情でした。しかし三角点からの眺望は、確かに素晴らしく、埋設地点としては絶好だと感じました。

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、ブログ運営者がみずから撮影したものです。

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[建築物]★北浜レトロビルヂング(大阪市)

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(北浜レトロビルヂング。煉瓦造りの可愛らしい建物です)

★北浜レトロビルヂング(旧桂隆産業ビル)(大阪市)
 土佐堀川と中之島公園を背に、大阪証券取引所の向かい側に建つのが「北浜レトロビルヂング」です。もともと、証券の仲買業者の社屋として明治45年(1912年)に竣工した建物で、築100年を越えていますが、リノベーションされて、現在でも現役で使用されています。船場・北浜界隈の名だたる近代建築の中でも、最も古い煉瓦造り建築物のひとつでもあり、英国のグラスゴー派の影響を受けていると言われています。設計者・施工業者は不明。登録文化財。
 「北浜レトロビルヂング」は、地上2階、地下1階の総煉瓦造りの事務所ビル。正面開口部は、花崗岩の切り石を用いて縁取りし、玄関アーチを変形アーチ4本の柱型で受け、2階は大きく窓枠を置いてアクセントにしています。入口には大きな金色のティーポットが看板として吊るされています。町屋サイズと言ってもよい規模の建物を、この界隈に残すのは大変な苦労もあると思います。初めて見たときに、ぼくは絵本『小さなおうち』を連想していました。モダン建築が並ぶ土佐堀通の象徴として、いつまでもこの佇まいが残ってほしいと思います。

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(明治45年(1912年)竣工。おいしい紅茶の専門店としても有名です)

 現在は、1階が英国風ケーキ・紅茶雑貨ショップ、2階が紅茶通の間で人気を集める英国アンティークの雰囲気漂う喫茶店です。ドアノブや電気のスイッチなど、店内のいたるところに英国製のインテリアが使われています。現在の所有者は、内装に白壁、エメラルド・グリーンの柱や窓枠、フローリングの床。調度品もできる限り英国製アンティークを用いています。ケーキ、スコーン、サンドイッチなどが付くアフタヌーンティーセットがこの店の人気メニュー。紅茶はイギリス、フランス、インド産のものなど、およそ40種。ケーキは毎日店で手作りされてるそうです。2階のカフェ・スぺエースの窓からは、中之島のバラ園が一望でき、デートにもぴったりです。

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、大阪観光局情報さま(HP)、大阪文化財ナビさま(HP)よりお借りしました。

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[版画展]★栗谷川健一 北国の空と風雪と緑 没後20年遺作展

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★栗谷川健一 北国の空と風雪と緑 没後20年遺作展
 札幌三越、2019年2月12日(火)-2月18日(月)

 栗生川健一さんは、岩見沢市生まれ。札幌冬季オリンピックの招致ポスターを始め、北海道の観光ポスターなど、札幌を拠点に活躍したデザイナーでした。本展では、遺族のご厚意により、貴重な版画作品を展覧いたします。

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[工芸展]★松乾齋東光 市松人形展

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★松乾齋東光 市松人形展
 東急さっぽろ店、2019年2月14日(木)-2月20日(水)

 松乾齋東光の市松人形は、むかし懐かしく、どこか新しい、柔らかな表情のお人形です。明治時代より現在に至るまで、4代続く伝統の技法を現代に残すべく、日々人形制作に取り組んでいます。制作された市松人形の着物には古布を使用し、昔ながらの雰囲気や味をそのままに伝えます。また、全国各地で展示会も行い市松人形の文化を広く伝えております。桐塑(とうそ)と胡粉(ごふん)を用いた伝統的手法で制作した市松人形は修復も可能です。市松人形の温かみにぜひ触れてみてください。

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[常設展]★ヨハン・H・ティッシュバン 『貴婦人の肖像画』

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(ヨハン・H・ティッシュバン 『貴婦人の肖像画』、ザ・リッツカールトン大阪)

★ヨハン・H・ティッシュバン 『貴婦人の肖像画』
 ザ・リッツカールトン大阪にて常設展示

 今回紹介するのは、ザ・リッツカールトン大阪が所蔵する作品で、1階ロビーのいちばん目立つところに飾られています。ヨハン・H・ティッシュバンは、1722年にドイツで生まれています。歴史をテーマにした油彩画、および水彩画を数多く手がけました。特に、ウィルヘルムスタル城内美術館に収蔵された肖像画が有名です。1789年に没しています。この作品には、貴婦人の気品の高さと威厳が感じられますね。

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[日本画]★横山大観、川合玉堂、伊東深水、岩橋英遠 特選日本画展

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★横山大観、川合玉堂、伊東深水、岩橋英遠 特選日本画展
 札幌三越、2019年2月26日(火)-3月4日(月)

 横山大観、竹内栖鳳、川合玉堂などを中心に、日本画巨匠作家の作品を一堂に展覧いたします。また、北海道ゆかりの岩橋英遠、山口蓬春などの作品も展覧いたします。出品予定作家はそのほかに、前田青頓、鏑木清方、伊東深水、小杉放庵、杉山寧、棟方志功など。

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[講演会]★(当館学芸員)「美々鹿肉缶詰工場展 よみがえるまぼろしの工場 展示解説会(歴史編)」

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★(当館学芸員)「美々鹿肉缶詰工場展 よみがえるまぼろしの工場 展示解説会(歴史編)」
 苫小牧市美術博物館、2019年2月24日(日) 14:00

 明治の初め、北海道では開拓使によって缶詰事業がすすめられました。明治10年(1877年)に日本初の缶詰工場となる石狩缶詰所が創業したのを皮切りに、翌年には植苗村美々(現在の苫小牧市美沢)に缶詰工場が設置されました。
 美々では野生のエゾシカを原料にした缶詰を製造し、初年度には7万缶以上の缶詰を生産するなど順調なスタートを切ります。鹿肉缶詰は国内外の博覧会へ出品されて好評を博し、海外への輸出品としても期待されました。しかし、原料不足などで美々での缶詰事業は突如不振に陥り、僅か数年で工場は閉鎖となってしまいます。
 本展では、突如閉鎖に追い込まれたという謎に包まれた缶詰工場の歴史や、先史時代から現代に続くシカ猟との関わりについて、歴史と考古の両面から探ります。

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、苫小牧市美術博物館さま(HP)よりお借りしました。

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[陶芸展]★パブロ・ピカソ 陶芸展 生命の息吹を吹き込まれた陶芸たち

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★パブロ・ピカソ 陶芸展 生命の息吹を吹き込まれた陶芸たち
 大丸札幌店、2019年2月20日(水)-2月26日(火)
(WEBサイト→)https://www.daimaru.co.jp/sapporo/event/

 20世紀を代表する世界的芸術家として知られるパブロ・ピカソ。ピカソが陶芸に興味を抱くようになったのは晩年、65歳の時だそうです。「陶芸は自由気ままにできる彫刻だ」という言葉も残しており、巨匠ピカソが晩年に燃焼させた創造への飽くことのない情熱から、生命の息吹を吹き込まれた陶芸作品の数々を展示。選りすぐりの陶芸作品をはじめ、今回はピカソが描いた版画作品も交えて展示販売いたします。

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[企画展]★中村善策 小樽・風景画の系譜展

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★中村善策 小樽・風景画の系譜展
 市立小樽美術館、2018年10月27日(土)-2019年2月24日(日)

 日本を代表する風景画家、中村善策は、1916年(大正5年)、15歳で小樽の海運会社「西谷海運」に入社します。働きながら夜間、小樽洋画研究所に通い、絵画の勉強を始めます。北前船主でもあった西谷家は、画家修業中の中村善策を全面的に支援し、中央進出を後押しするなど密接な関係にありました。本展では、日本遺産認定を記念し、第1部「躍動する風景・中村善策の世界」に中村善策と西谷家の交流の証である書簡や絵画を紹介する「北前船主 西谷家と中村善策」もコーナー展示します。また、第2部「描かれた小樽」では、小竹義男、伊藤正などとの交流について紹介します。中村善策の没後35年と記念ホールが開設されてから30年の節目に、市民に愛された風景画家中村善策を回顧すると共に、それぞれの画家からとらえた小樽の風景の魅力に迫ります。

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、市立小樽美術館さま(HP)よりお借りしました。

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[常設展]★H・チャーチ 『田園風景』

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(H・チャーチ 『田園風景』(4部作)、ザ・リッツカールトン大阪)

★H・チャーチ 『田園風景』
 ザ・リッツカールトン大阪にて常設展示

 今回は、ザ・リッツカールトン大阪にて常設展示されている作品を紹介します。作者のH・チャーチは1890年ごろ、イギリスで生まれました。ロンドンなど大都市に住みつつ、その郊外にある田園風景を多く描きました。ザ・リッツカールトン大阪にはこちらの作品のほか、3作品(4部作)がチェックインカウンター右横に並べて展示されています。小品ながら、ぼくはこちらの作品がお気に入りです。

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、ブログ運営者がみずから撮影したものです。

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[コンサ]★J1開幕直前 順位予想

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 昨季、我が北海道コンサドーレ札幌は、ACLまであと一歩、というところまでたどり着くことができ、満足感いっぱいで終えることができました。その余韻に浸っているうちに、いよいよ今週は2019年シーズンが開幕します。選手はたいへんでしょうが、サポーターとしては、待ちに待ったシーズンの開幕です。
 そこで今回の記事では、雑誌『サッカーダイジェスト』の2019年選手名鑑をもとに、私の独自の情報網を駆使して(笑)順位を予想します。

 1位 川崎
 2位 神戸
 3位 札幌
 4位 鹿島
 5位 浦和
 6位 F東京
 7位 横浜FM
 8位 G大阪
 9位 名古屋
10位 磐田
11位 清水
12位 広島
13位 湘南
14位 鳥栖
15位 仙台
16位 C大阪
17位 松本
18位 大分

 川崎フロンターレは、頭ひとつ抜けていますね。この牙城を崩すのは、なかなか難しいと思います。2位はヴィッセル神戸と予想。迫力ある3TOPはもちろんですが、DFの補強もされて、噛み合うと手強いと思います。我が北海道コンサドーレ札幌。ミシャ戦術もかなり浸透してきていますので、間違いなくACL圏内を狙えると思います。降格プレーオフは、セレッソ大阪と予想。今季のセレッソ大阪は戦力ダウンが大きいので、噛み合わなければかなり難しい状況に陥りかねません。降格は松本山雅と大分トリニータと予想。J1の壁は、思った以上に分厚く感じると思います。それくらい、いまのJ1は層が厚いのです。当たっているかな? 当たりはずれの結果は、シーズンオフに!

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